※この記事は、願い事や予祝をしている人を否定するためのものではありません。
願うことと、自分で選べることを分けて考え、人生の主導権を自分に戻すための考察です。
新月や満月が近づくと、
「願い事を書きましょう」
「宇宙に願いを放ちましょう」
「満月に願いを届けましょう」
といった言葉を目にすることがあります。
占星術やスピリチュアルの世界では、
新月や満月と「願い事」が結びつけられることは、今では珍しくありません。
願いを書くことで、自分の望みに気づけることもあります。
言葉にすることで、心の中が整理されたり、前を向くきっかけになったりする人もいるでしょう。
そのため、私は「願い事をすることには意味がない」と言いたいわけではありません。
ただ、以前から少し気になっていたことがあります。
それは、自分で選び、行動できることまで、
「叶いますように」
と願うことに対する違和感です。
「願い事」とは、何を願うものなのだろう
「願い事」という言葉を聞いたとき、私はまず、
「世界が平和でありますように」
「家族が元気で過ごせますように」
「災害の被害が広がりませんように」
「怪我が早く治りますように」
といった言葉を思い浮かべます。
自分や誰かの力だけでは、結果を決められないこと。
努力をしたとしても、最後まで自分の意志だけでは動かせないこと。
そのようなものを願い、祈ることは、とても自然な行為だと思います。
もちろん、日本語としては、
「試験に合格できますように」
「理想の仕事に出会えますように」
「自分らしく生きられますように」
と、自分のことを願っても間違いではありません。
自分のことを願ってはいけない、という話でもありません。
私が気になっているのは、主語が自分か他人かということ以上に、
その願いに対して、自分が何を選び、何を引き受けるのかという部分です。
自分で選べることまで、外側へ預けていないだろうか
たとえば、
「自分らしく生きられますように」
という願いがあったとします。
この言葉の奥には、
本当はもっと自分の気持ちを大切にしたい。
周囲に合わせるだけの生き方を変えたい。
好きなことや、心から納得できる道を選びたい。
という思いがあるのかもしれません。
その思いに気づくこと自体は、とても大切です。
ただ、願いを書くだけで終わってしまうと、
自分らしい人生を誰かや宇宙に与えてもらうような形にもなります。
自分らしく生きるためには、自分の本音を確認し、必要な境界線を引き、
ときにはこれまでと異なる選択をしなければなりません。
「自分らしく生きられますように」
という願いを、
「私は、自分の本音を無視しない生き方を選びます」
と置き換えると、人生の主語が自分に戻ってきます。
願いの中にあった本当の望みを、自分の選択として引き受けることができるのです。
願い・祈り・意図・誓いは、それぞれ役割が違う
私たちは、「こうなったらいいな」と思うことを、ひとまとめに願い事と呼びがちです。
ただ、その中には性質の異なるものが含まれています。
願い・祈り
自分の力だけでは、結果を決められないことです。
世界の平和、家族の健康、災害からの復旧、病気や怪我の回復など、
自分にできることを尽くしても、最後は自分だけでは動かせない領域があります。
このようなことは、願いや祈りとして手放すことができます。
祈ることは、何もしないことではありません。
自分の力が及ばない部分まで、すべて背負わないための行為でもあります。
意図
自分がどの方向へ進みたいのかを、明確にすることです。
「自分に合う働き方を見つけたい」
「大切な人と誠実な関係を築きたい」
「自分の表現を、もっと外へ届けたい」
こうした思いは、すぐに行動へ変えられなくても、
自分の内側にある方向性を知る手がかりになります。
意図を持つことは、未来を思いどおりに支配することではありません。
自分はどちらへ向かいたいのかを、自分自身に確認することです。
選択・誓い
自分にできることを、主体的に引き受けることです。
「自分の体を大切にする」
「必要なことを学び始める」
「合わない環境から距離を置く」
「自分の考えを言葉にする」
「小さくても、今日から行動する」
これらは「できますように」と願うよりも、
「私は、これを選びます」
「私は、この方向へ進みます」
と誓うほうが、自分の力を取り戻せます。
自分にできることと、結果まで決められないこと
実際の人生では、
自分にできることと、自分では決められないことが、きれいに分かれているわけではありません。
たとえば、試験に合格するために勉強することは、自分で選べます。
一方で、試験当日の体調や問題との相性、合格者数など、結果のすべてを自分で決めることはできません。
仕事についても、応募する、学ぶ、準備する、発信するところまでは自分でできます。
ただ、誰と出会うのか、いつ機会が訪れるのか、どのような形で話が進むのかまでは、
自分だけでは決められません。
このような場合は、意図と行動と祈りを分けて考えることができます。
私は、この方向へ進む。
そのために、自分にできることを行う。
そのうえで、自分では決められない結果については祈り、手放す。
願うか、努力するかの二択ではありません。
自分にできることを引き受けながら、自分には動かせない領域も認める。
その両方があってよいのだと思います。
新月は、願いを叶えてもらう日ではない
新月は、占星術ではひとつのサイクルが始まる節目として捉えられます。
そのため、「願い事を書く日」として紹介されることが多いのでしょう。
ただ、私は新月を、宇宙に願いを注文する日のようには考えていません。
新月は、
これから何を育てたいのか。
どの方向へ意識を向けたいのか。
今の自分は、何を選ぼうとしているのか。
を静かに確認する節目です。
願いを何個書けば叶いやすいのか。
どの時間に書けば効果があるのか。
どの言葉を使えば宇宙に届くのか。
そうした形式を気にするよりも、自分の内側にある本当の望みと向き合うほうが大切です。
そして、望みに気づいたあとは、
「そのために、私は何を選ぶのか」
まで考えてみる。
新月は、叶えてもらうための願いを書く日ではなく、
これから育てる方向を定め、最初の一歩を選ぶ節目として使うことができます。
「予祝」をすれば、願いは叶いやすくなるのか
願いがすでに叶ったものとして言葉にする「予祝」も、
新月や満月の過ごし方として紹介されることがあります。
叶った未来を思い描くことで、自分が本当に望んでいることに気づいたり、
前向きな気持ちになったりすることはあるでしょう。
その意味では、
予祝を自分の内側を確認するためのイメージワークとして活用することはできます。
ただし、完了形で書いたから現実が引き寄せられる、
コメント欄に宣言したから願いが叶いやすくなる、とまで断定することはできません。
未来を思い描くことだけで終わらせず、
「その未来を望んでいる自分は、今、何を選べるだろう」
と現実へ戻ってくることが大切です。
予祝は、未来を先に叶ったことにするためのものではなく、
自分が望む方向を知るための入口として扱う。
そのうえで、自分にできることは、選択や行動へつなげていく。
そのような使い方であれば、人生の主導権を外側へ預けずに、未来への希望を持つことができます。
満月は、願い事をする日ではなく、振り返る節目
満月についても、「願い事が叶う日」「願いを放つ日」と説明されることがあります。
ただ、月のサイクルとして考えるなら、満月は物事が見えやすくなるタイミングです。
これまで積み重ねてきたものが、何らかの形で表れやすいときでもあります。
そのため満月には、新しい願いを増やすよりも、
ここまで何を選んできたのか。
実際に、どのような結果が表れているのか。
続けたいことは何か。
修正したいことは何か。
もう手放してよいものは何か。
を振り返るほうが、月のリズムを現実に活かしやすくなります。
新月で意図や方向性を確認し、満月で現実とのずれを見直す。
その繰り返しは、自分の人生を誰かに決めてもらうためのものではありません。
自分の感覚と現実を照らし合わせ、必要な修正を重ねていくための時間です。
「願えば叶う」が、苦しさを生むこともある
願い事をめぐる言葉の中には、
「願いが叶わないのは、信じ方が足りないから」
「波動が低いから叶わない」
「本気で願っていないから現実化しない」
という考え方につながるものもあります。
しかし、人生には、本人の努力や意識だけではどうにもできないことがあります。
社会的な環境、家庭事情、経済状況、健康状態、他者の意志など、
私たちは多くの条件の中で生きています。
願いが叶わなかったことを、本人の信じる力や意識の問題だけにしてしまうと、
必要以上に自分を責めることになります。
反対に、願えばすべてが叶うと考えることで、
自分にできる現実的な行動が見えなくなる場合もあります。
大切なのは、願いを万能な方法にしないことです。
願いは、未来を操作する道具ではありません。
自分が本当は何を望んでいるのかを知る入口として、活かすことができます。
占星術は、願いを叶えてもらうためのものではない
占星術は、自分の願いを天体に叶えてもらうためのものではありません。
星の動きは、
今、何を見直す時期なのか。
どのようなテーマが意識に上がりやすいのか。
自分の中で何が変わろうとしているのか。
を理解するための手がかりになります。
ただし、星が人生を決めるわけではありません。
新月が人生を変えてくれるわけでも、
満月が不要なものを自動的に手放してくれるわけでもありません。
星の流れを知ったうえで、何を選ぶのか。
どのように現実へ反映させるのか。
そこには、いつも自分自身の意志があります。
Mayula Method™が考える「願い」と「誓い」
Mayula Method™では、願うことを否定しません。
願いの中には、その人がまだ言葉にできていない本音が隠れていることがあるからです。
「こうなりますように」
という言葉の奥に、
本当は、どのように生きたいのか。
何を変えたいのか。
何を大切にしたいのか。
という魂の方向性が表れていることもあります。
だからこそ、願いを書いたあとに、もう一歩だけ問いかけてみます。
「この願いのために、私が選べることは何だろう」
「誰かに叶えてもらおうとしている部分はないだろうか」
「自分では決められないことと、自分で行動できることは何だろう」
願いのすべてを、自分の努力へ変える必要はありません。
何もかも自分で何とかしなければならない、という意味でもありません。
自分にできることは、選択や誓いとして引き受ける。
自分では決められないことは、願いや祈りとして手放す。
その違いを見極めることが、自分の人生の主導権を取り戻すことにつながります。
願ったあとに、「私は何を選ぶのか」と問い直す
願い事をすることが悪いのではありません。
願うことで、希望を持てる日もあります。
自分の力だけでは抱えきれないことを祈りに変えることで、心が少し軽くなることもあります。
ただ、自分に選べることまで、月や宇宙に預ける必要はありません。
願いを書いたら、そのまま終わらせずに、
「では、私は何を選ぶのか」
「今日からできることは何か」
と、自分自身に問い直してみる。
願いを、自分の本音に気づく入口にする。
意図を、自分が進む方向を示す言葉にする。
選べることは、誓いとして現実へつなげる。
自分では決められないことは、祈りとして手放す。
新月や満月は、人生の主導権を宇宙へ預けるための日ではありません。
自分の内側と現実を見つめ直し、これからの生き方を選び直すための節目です。
自分にできることは、願うのではなく選ぶ。
自分ではどうにもできないことは、静かに祈る。
その両方を大切にすることが、占星術と成熟した形で向き合うことなのだと思います。
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