何かを決めようとするとき、
「普通は、どちらを選ぶんだろう」
「周りから見たら、どちらが正しいんだろう」
「失敗しない選択は、どちらだろう」
そんなふうに、自分の外側に答えを探してしまうことがあります。
もちろん、誰かの意見を聞くことも、
現実的な条件を考えることも大切です。
けれど、そればかりを見ていると、
「私は、本当はどうしたいんだろう」
が、だんだん分からなくなってしまうことがあります。
だから私は、
世間でいう「正しいか」より、
自分が「しっくりくるか」。
ということも、大切にしたいと思っています。
それは、正しさを無視するということではありません。
自分の人生を選ぶ主体を、自分に戻すということです。
世間の「正しさ」と、自分に合うことは同じではない
私たちは、気づかないうちにたくさんの基準を受け取っています。
「普通はこうするもの」
「この年齢なら、こうあるべき」
「安定している方がいい」
「せっかくここまで続けたのだから、やめない方がいい」
「周りから見たら、こちらの方が安心」
家族から受け取った価値観。
社会の中で当たり前とされていること。
これまでの経験から身につけてきた考え方。
誰かから言われた言葉。
それらが間違っているわけではありません。
自分を守ってくれた考え方もあれば、
生きていくうえで役に立ってきた価値観もあります。
でも、
世間で「正しい」とされていることと、
今の自分に合っていることは、必ずしも同じではありません。
条件としては申し分ない。
周りから見れば、その方が安心に見える。
自分でも、頭ではこちらを選ぶ方がいいと思っている。
それなのに、
「なぜか気が進まない」
「どこか違う気がする」
「このまま進むと、自分から離れていく気がする」
そんな感覚が残ることがあります。
反対に、
少し不安があっても、
「でも、私はこっちを選びたい」
と思うこともあります。
その感覚は、
誰かに説明できるほど明確ではないかもしれません。
けれど、自分の内側では、
確かに何かが反応している。
私は、その感覚を置き去りにしないことも大切だと思っています。
「しっくりくる」は、楽な方を選ぶことではない
「しっくりくる方を選ぶ」と聞くと、
好きなことだけを選ぶこと。
嫌なことを避けること。
そのときの気分に従うこと。
そんなふうに聞こえるかもしれません。
でも、私が思う「しっくりくる」は、
それとは少し違います。
本当に自分に合っている選択が、
いつも楽とは限りません。
新しいことを始めるときには怖さもあるし、
慣れた場所を離れるときには、
不安もあります。
本音を伝えることの方が、
黙っているより勇気が必要な場合もあります。
それでも、
怖いけれど、進んでみたい。
不安だけれど、こちらを選びたい。
簡単ではないけれど、
今の自分にはこちらの方が自然な気がする。
そんな感覚があります。
私にとって「しっくりくる」とは、
自分の感覚や価値観と、その選択との間に、大きなズレがないこと。
なのだと思います。

自分の感覚を大切にすることと、感覚だけで決めることは違う
ただし、
「なんとなく嫌だからやめる」
「なんとなく好きだからやる」
それだけですべてを決めればいい、
ということでもありません。
私たちの感覚には、
これまでの経験や思い込み、
怖さや不安が混ざっていることもあります。
傷つくことが怖くて、
本当は望んでいることから逃げたくなることもある。
失敗したくなくて、
慣れた場所に戻りたくなることもある。
逆に、
誰かに認めてもらいたくて、
本当は望んでいない方を選びたくなることもあります。
だからこそ、
自分の感覚を大切にすることと、
感覚をそのまま答えにすることは違う。
と思っています。
「私は、なぜこちらに惹かれているんだろう」
「なぜ、こちらには違和感があるんだろう」
「本当に望んでいないのか。それとも、怖いだけなのか」
「誰かに認めてもらいたくて選ぼうとしていないか」
「今の私は、何を大切にしたいんだろう」
そんなふうに、
一度自分の内側を見てみる。
すぐに答えが出なくてもかまいません。
すぐに決めようとせず、
少し自分の中に置いておくことで、
最初は分からなかったことが、
少しずつ見えてくることもあります。
「誰にとっての正しさなのか」を考えてみる
選択に迷ったとき、
私は、
「それは、誰にとっての正しさなんだろう」
と考えてみることがあります。
世間にとって。
家族にとって。
周囲の人にとって。
昔の自分にとって。
それとも、
今の自分にとって。
外側の基準をすべて捨てる必要はありません。
現実も見ながら、
周りの意見も聞きながら、
最後に、
「では、私はどうしたい?」
と自分にも聞いてみる。
その問いがあるだけで、
選択の主体が、
少しずつ自分のところへ戻ってきます。
正解が分からないときは、「自分から離れない方」を選ぶ
人生には、
選ぶ時点では、
どちらが正解か分からないことがたくさんあります。
仕事を変えるか。
人間関係を続けるか。
新しいことを始めるか。
今いる場所に残るか。
何かを手放すか。
どちらを選べば後悔しないのか。
未来が見えない以上、
完全に分かることはありません。
だから、
「絶対に失敗しない方」
「あとで後悔しない方」
を探し続けていると、
いつまでも決められなくなることもあります。
そんなとき私は、
どちらを選べば、自分から離れずにいられるだろう。
と考えます。
誰かに説明しやすい方ではなく。
誰かから認めてもらえる方でもなく。
「普通ならこちら」と言われる方でもなく。
今の自分が、
自分自身に嘘をつかずにいられる方。
それでも迷うなら、
その選択をした自分をあとから振り返ったとき、
「あのときの私は、自分なりにちゃんと考えて選んだ」
と思える方を選びたい。
結果がどうなるかは、
そのときには分からなくても、
自分で考え、
自分で感じ、
自分で選んだという感覚は、
その後の自分を支えてくれると思うからです。
自分で選ぶことは、何でも一人で決めることではない
「自分で選ぶ」というと、
誰の意見も聞かず、
何でも一人で決めなければならないように感じるかもしれません。
でも、そうではありません。
迷ったら相談してもいい。
詳しい人の意見を聞いてもいい。
現実的な条件を比べてもいい。
誰かに背中を押してもらうことがあってもいい。
大切なのは、
誰かの言葉をそのまま答えにするのではなく、
最後に、その答えを自分の中でも確かめること。
だと思います。
誰かに言われたから選ぶのではなく、
「その意見も聞いたうえで、私はこれを選ぶ」
と言えること。
それが、自分の人生の主導権を持つということなのだと思います。
今しっくりくるものが、ずっと同じでなくてもいい
そして、もうひとつ。
今「しっくりくる」と感じるものが、
一生同じとは限りません。
人は経験を重ねます。
環境も変わります。
大切にしたいものも変わります。
以前は必要だったものが、
今は必要ではなくなることもあります。
昔は理解できなかったことが、
いつの間にか大切になることもあります。
だから、
過去に選んだものと、
今選びたいものが違っていてもいい。
以前とは違う選択をする自分を見て、
「私はブレているのかな」
と思わなくてもいいのだと思います。
あのときの自分には、
あの選択が必要だった。
そして今の自分には、
今しっくりくるものがある。
そう考えることもできます。
自分が変われば、
自分に合うものが変わるのは自然なことです。
人生の判断基準を、外側だけに預けない
人生には、
「これが絶対に正解です」
と言えることばかりではありません。
むしろ、
実際に選んでみて、
経験してみて、
初めて分かることの方が多いのかもしれません。
だから私は、
「周りから見て正しいだろうか」
だけではなく、
「私は、どう感じているだろう」
も忘れずにいたい。
世間の基準も見る。
現実も見る。
人の意見も聞く。
でも最後には、
自分の感覚も、
ちゃんとそこに含める。
世間でいう「正しいか」より、
自分が「しっくりくるか」。
それは、
何でも自分の思い通りにすることでも、
正しさを否定することでもありません。
人生の判断基準を、外側だけに預けず、
自分自身にも戻しておくこと。
その小さな積み重ねが、
自分の人生を、
自分で選んで生きることにつながっていくのだと思います。


















